三島由紀夫

生誕100年

静岡県・三島市との関係は?

三島由紀夫

生誕100年

静岡県・三島市との関係は?

戦後日本を代表する作家三島由紀夫(本名・平岡公威、1925~70年)が1月14日、生誕100年を迎えた。作品が世代を超えて支持される中、読者の疑問に応える静岡新聞社「NEXT特捜隊」にも三島市出身の男性から「三島由紀夫の名前は三島市と何か関係があるんでしょうか?」との声が寄せられた。静岡県内ゆかりの地なども合わせて調べた。

三島と三島

「ペンネームの由来」有力な説

三島と三島

「ペンネームの由来」有力な説

恩師が駅で見た富士山

古くから多くの作家にとって執筆の地だった伊豆半島の付け根にある三島市。ちなみに私自身も同市出身だが、学校の授業で三島由紀夫を郷土の偉人のように学んだ記憶はない。市のホームページを探すと「三島由紀夫のペンネーム伝説」との掲載があり、尋ねた。

筆名の考案者は、三島の学習院時代の恩師で国文学者の清水文雄とされる。経緯は「師・清水文雄への手紙」に収録される清水のエッセー「『花ざかりの森』をめぐって」に詳しい。1941年、三島から託された「花ざかりの森」の原稿に感心した清水が、参加する同人雑誌の編集会議に諮り、連載が決まる。会議は伊豆市修善寺の旅館で行われた。清水らは当時まだ16歳だった三島をおもんぱかり、筆名を作ろうと話し合う。

だれからともなく言い出したヒントは、「三島」であり「ゆき」であった。東海道線から修善寺へ通ずる電車に乗り換える駅が「三島」であり、そこから仰ぎ見たのが富士の秀峯であったことが、ごく自然にこの二語を選ばせたのであろう

伝説裏付ける資料なく

ただ、これについて「有力な説とされている一方で確証はないそうです」と説明するのは、三島市立図書館司書の志村典子さん(51)。師弟2人で筆名を検討したエピソードを三島が書いた「私のペンネーム」(1953年11月8日東京新聞夕刊掲載)では、先に由紀夫との名前が決まり「それから何か座りのいい姓をと考へて、先生の机上にあつた何かの名簿を繰つて三島といふのを探し出したのである」とされ、地名を元にしたかどうかには触れられていない。市にも、現在も修善寺との間で駿豆線を運行する伊豆箱根鉄道にも、「伝説」を裏付ける資料はなかった。

伊豆半島の玄関口であったり三嶋大社があったり、創作の題材に富む三島市には深い縁を持つ作家が少なくない。「三島由紀夫の筆名由来の地」としてあまり浸透していないことについて、志村さんは「転じて、そうした文化の街である現れかもしれない」とし「三島と少しでもつながりがある親近感が、新たな読書のきっかけになってくれたら」と期待を込めた。

「師・清水文雄への手紙」

「師・清水文雄への手紙」

三島由紀夫について書かれた蔵書を紹介する司書の志村典子さん

三島由紀夫について書かれた蔵書を紹介する司書の志村典子さん

三島と下田

「平岡公威に戻る」夏のバカンス

三島と下田

平岡公威に戻る―夏のバカンス

下田東急ホテルに滞在、執筆

三島由紀夫にとって下田市で過ごす夏は、執筆のための滞在に収まらない、家族や友人、地元住民とのひとときを楽しむバカンスだった。伊豆半島南端の海辺の街を気に入ってか、「音楽」「月澹荘綺譚」などの作品にも登場させている。

宿泊先にしていた下田東急ホテルは、1962年の開業時には珍しい西洋式で、大浦湾を臨む高台に立つ。ホテルによると、三島が利用したのは1964年から1970年にかけての夏の2、3週間。家族と過ごすスイートルームの530号室とは別に、海と反対側の503号室を借りて執筆にいそしんだ。

これらの部屋は2017年のホテルリニューアル時に、内装や調度品が一新されたものの、造り自体は当時のまま。従業員の間では三島が芝生のガーデンを歩いて作品の構想を練ったり、ブーメランパンツでプールに現れて鍛えた体を見せびらかすように振る舞ったりする姿が、今も語り草になっているという。

中心街へ、夏祭りへ

ホテルから坂を下ってすぐの中心街にも、三島は気負わず顔を出した。日新堂菓子店のマドレーヌはひいきにした一品。店を訪れたほかの客に「日本一のマドレーヌですよ」と声をかけていたのを、現店主の横山郁代さん(73)は覚えている。「気さくでおちゃめな人」。

夏祭りにまで繰り出して、地元の人と交じって楽しんだという。押しも押されもせぬスター作家が、下田で見せるのびのびとした様子は「平岡公威に戻って遊んでいるようだった」と懐かしんだ。

下田市は現在、横山さんのように三島と関わりのあった市民にインタビューし、動画にまとめる計画を進めている。文学的資料のみならず、国内外に向けた観光PRにも役立てる。同市生涯学習課の鳥沢早斗子さん(45)は「作品の理解を深めると同時に、下田の魅力にも触れられるものにしたい」と話した。

[上]下田東急ホテル[下]三島由紀夫が執筆に使った503号室

[上]下田東急ホテル[下]三島由紀夫が執筆に使った503号室

三島由紀夫との思い出を話す日新堂菓子店の横山郁代さん

三島由紀夫との思い出を話す日新堂菓子店の横山郁代さん

三島を読む

初めの一冊…オススメは?

三島を読む

初めの一冊…オススメは?

爽やかなラブストーリー「潮騒」

世界中にファンを持つ三島由紀夫の作品。しかし、肉体美を追求する姿勢や割腹自殺、国家観などの印象が強いあまり、これまで手に取らずにきた人も少なくないのではないか−。

初めての一冊として、三島市立図書館司書の志村さんが選んだのは「潮騒」。三島が29歳の時の作品で、伊勢湾の小島を舞台にしたラブストーリーだ。「登場人物たちが若々しく、爽やかな雰囲気で読みやすい」と評した。

静岡市葵区のMARUZEN&ジュンク堂書店新静岡店の店員梶原大頌さん(28)も、同じく「潮騒」を薦めてくれた。「三島作品が苦手になる理由に内面描写の多さが考えられるが、本作は控えめ。海の美しさが描かれている」とし、「入門編としてピッタリ」とプッシュした。

初めて読む作品として「潮騒」を進める梶原大頌さん

初めて読む作品として「潮騒」を進める梶原大頌さん

三島由紀夫(みしま・ゆきお)

1925年1月14日、東京生まれ。1944年に学習院高等科を首席卒業し東大法学部に入学、処女短編集「花ざかりの森」が刊行される。1970年、陸上自衛隊市ケ谷駐屯所(東京都新宿区)で割腹自殺した。「豊穣の海 第4巻 天人五衰」で旧清水市が、「獣の戯れ」で西伊豆町が舞台とされるなど、静岡県内にもゆかりの地が残る。

(静岡新聞編集局デジタル編集部・渡辺悠平が取材、執筆、構成しました)